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CG・アニメーション実習7-2010-01

オリエンテーション

 作品とは何かについて整理しよう

はじめに

「CG・アニメーション実習7」は、主に卒業制作のための企画づくりをやります。卒業制作が今までの創作と比べて何か特別のモノなのかというとそういうわけではありません。

  • 作りたいという衝動
  • 思考し作業する時間の充実
  • 発表することで自分を冷静に見つめ直したり、他人と接点を作ったり。

これらは、3年次後期に行った進級制作についてと同じです。しかし、進級制作のときはまだ実感として、自分の作品であるという意識が曖昧だった人も多いのではないでしょうか。これからの7ヶ月半をかけて、面白い創作活動になるように、全身を使って挑んでもらいたいと思います。

創作とはアウトプットである

さて、卒業制作について考えていくわけですが、そもそも創作とは何かということを考えてみましょう。

当たり前の話ではありますが、創作とは何かを作り出すことです。人は何かを得て、何かを出します。その出したものを誰かが得て、また出す。その流れが文化という形になります。生命活動全般はそのような流れの中にあります。食って排泄するのは、生命の基本です。情報も経済もそのようなことが言えます。ある一定期間、納まっている場所が身体なのですね。そういう意味では、国もWEBサイトも銀行も生命体です。アート作品も例外でないのです。その自然の流れの中に身を置き、漂う感覚を持ちましょう。私たちのいる時代もまた、生命体です。

上の文章を読んで、「おお、そういう考え方もあったのか!」と思った方もいると思います。この文章は僕の現在の創作観です。創作について僕が思っていることです。この文章もまた創作です。僕の頭の中に様々な情報が入り込み、記憶として刻み込まれ、頭の中で練りこまれます。文字としてキーボードで打ちながら、記憶の中の情報を参照し、整理統合されて書き出されています。

自分の言葉で描け

創作で重要なのは自分の言葉・形であることです。皆さんの頭脳には様々な情報が入ってくると思います。それらは、皆さんの中で改変された結果、言葉や絵になって出てくるのでしょう。作家として、作品を作り出すときに大事なのは、繰り返しますが、「自分の言葉、自分の絵、自分の物語、自分の思想」として、外に出すことです。このとき、「他人の作品と似ている・いない」ということはそれほど重要ではありません。自分の中で育て上げて出されたものが、もし他人と似ていたとしたら、そこには何らかの必然性があるのでしょう。そのことについてまた考えましょう。しかし、完全一致ということはないはずです。何が違うのか知ることで、より自分のことがわかってくるかもしれません。

何をつくるべきなのか

成安に来てから、僕は4回目の卒業制作に付き合うことになります。今までの学生を見ていて、よくあるのが、「何を作ればいいのかわからない」ということに悩み、先に進まなくなってしまう人が多いことです。正直なところ、「何を作るか」はどうでもいいです。「何を作ればいいのか」が重要なのではなく、それは「面白いのかどうか」が重要なのです。どんな下らないことでも構いません。どんな下らない発想も傑作になる可能性を持っています。なぜなら、面白いかどうかは、感情に響くかどうかであって、テーマの種類がどうかとは関係ないからです。世の中のためになるかどうかも関係ありません。「感情に響くか」この一点が面白いかどうかを決めます。

感情とは何か

では、どうすれば感情に響くのか。そのことを考えるためには、感情が何なのか知らないといけませんね。Wikipediaを一度読んでみてください。

感情とは、身体に発生した何らかの状況を意識化に表現したものです。
例えば、全力で100メートル走ります。すると、筋肉を活動させるために酸素が必要となり、血流を増やさないといけなくなります。そのためには心臓を激しく活動する必要があります。心臓が激しく鼓動します。「ドキドキ」します。このドキドキを意識でどのように解釈するか。「苦しい」「気持ちイイ」まぁ、いろいろでしょうけど、何か思うでしょう。その「苦しい」のは肉体の状況を意識が解釈しているのです。感情とは肉体に起こる状況や周りの環境を感覚器で捉えた情報を脳で解釈し、表現したものです。「トイレに入って臭い→不快」この一連の流れは、即座に起こります。この「うわ、くさっ!」が感情です。その人は嫌な気分のまま、用を足すか、あまりにも不快なので場所を変えるかします。人間の行動のほとんどはそのような感情で決定されます。

感情に訴える手段

感情は、肉体に起こる様々な状況や、感覚器で察知した情報から、脳が瞬時に判断して表現されます。ある意味、機械的です。例えば、メールや掲示板で自分に対して避難する文章が書かれてたとします。すると、胸がグッと締め付けられるような感じがしませんか?その胸がグッと締め付けられる感じ。これが感情なのですが、それを受けて、ショボンと落ち込んだり、怒りでカッカしてきたりするでしょう。

さて、その感情のトリガーになったのは文章です。文章は感情に訴えますね。もう少し言えば、文章を読んだ心の中の声がトリガーになっています。文章は形としてはただの文字ですから。文字そのものに感情を動かされる人は少ないです。どちらにしろ、目で見た情報がトリガーになっているのです。感情は、病気などでも発生しますが、何かがトリガーとなって発動します。作品は、そのトリガーなのです。

  • 目で見るトリガー: 絵、映像、光、文章、記号…etc.
  • 耳で聞くトリガー: 音、音楽、声、歌、環境音…etc.
  • 皮膚で触るトリガー: 握手、マッサージ、点字、食器…etc.
  • 鼻で嗅ぐトリガー: 花、香水、体臭、環境、料理…etc.
  • 口で味わうトリガー: 料理、薬、発泡水…etc.
  • 体内で感じるトリガー: スポーツ、病気、食事…etc.

これらのトリガーに作用するものを作り出すことが作品となります。

熱中しろ

上のようなことを踏まえた上で、自分はどうするのかを考えるのですが、とりあえず考えるべきなのは、少なくとも最低自分はハッピーである、ということです。この創作活動をしていて楽しい!ということが最低限あるべき状況です。つまり、熱中しろということです。

熱中しているのはどういう状況かというと、「集中して探求している」状況です。探求するのは楽しいことです。逆にいうと、探求してないと楽しくない。では、探求するというのには、何が必要か。それは、「問題」です。疑問や問いがあり、それの答えを探す状態が探求です。調査して実験してみる、そして失敗。失敗の原因は何だったのか考え、また試す。この工程は非常に楽しい。この状態を維持し続けている人が、クリエイターです。そういう人を外から見ると、熱中しているように見えます。

熱中している人は自分は楽しいのですから、それだけでもいいのですが、それを他人に見てもらうことで交流が生まれたり、自分の発想とは別の発見があったりして、さらに楽しさが生まれます。

さらに、それだけ熱中できるネタは、他人から見ても心を動かされます。死ぬまで熱中できるネタは、そもそも答えが生まれにくいものであったりします。世の中で傑作と言われている作品は、そういうものがどこかに含まれていると思います。

創作とは楽しい作業である

創作が楽しい理由。それは創作に関する様々な「作業」が楽しいからに他なりません。人は「作業」していたい生き物なんです。何もせずじっとしているのはツライでしょう?だから、人は暇つぶしとして何か作業をします。この場合、頭を使って考えることも作業のひとつです。楽しい作業の時間が多いほど、幸福な時間が多いのです。逆にもし、作業がツライと感じているとしたら、そこには何か問題が潜んでいることを疑ってください。楽しくならない何かがあるのです。

目的と手段がチグハグになっていないか?

趣味は面白い。勉強や仕事はつまらない。そう考えている人は多いようです。しかし、よく考えてください。趣味も仕事も勉強も自分が行動している内容は同じようなものではありませんか? 頭を使い、手足を使って何らかの作業をしています。やっていることは、そんなに違いません。もし、宇宙人がいたとしたら、地球人がやっている趣味と仕事は何も違いはないように見えるでしょう。

では、なぜ気持ちに違いが生まれるのか。僕は、目的と手段の関係の問題だと考えています。趣味はお金を払ってでも作業するものです。それはなぜかというと、その趣味がやりたいからです。しかし、仕事の場合、お金のためにやっている人も多いです。
目的 手段
趣味 趣味 趣味
労働 お金 仕事
趣味の場合、その趣味をやりたいという意欲とその行動の内容に矛盾がありません。しかし、労働の場合、お金がほしいという意欲で仕事をします。この関係では、本当は仕事をしたいのではなく、お金が欲しいわけですから、できれば仕事をしたくないわけです。効率を求めるならば、極力仕事をせずにお金をゲットできるようにしたいと思うはずです。こうなると、仕事はつまらないという考えに行き着いてしまうのです。

ですから、僕の提案としては、「やりたい仕事(研究・創作)をやろう!」です。少なくとも大学にいる間は、誰かのためとか、社会のためとか、お金のためとか、そういうものを置いておいて、純粋に自分が楽しいと思えることをやってほしいと思います。将来的にも、できればお金のために仕事をやるのではなく、楽しい仕事をやるようになっていって欲しいと思います。もしくは、仕事をそういう風に考えられるように工夫する人になって欲しいのです。

 研究テーマを作る

作品の企画を考える前に、まず研究テーマを作り、調査したり自分の考えを深めてください。

研究テーマとは、すなわち「問い」です。「〜〜〜なのか?」のように、わからない何かを探求することです。
取り上げるのは、小さいテーマでも大きいテーマでも構いません。身近なものでも、身近ではないものでも構いません。しかし、気をつけなければならないのは、自分が知りたい、面白いと感じていることです。例えば、「世界平和を実現するためにはどうすればいいのか」のようなテーマを選んだとします。これも面白いテーマです。様々な人がチャレンジしたが、解決していない問題の一つでしょう。しかし、自分が興味がないのだとすれば、研究テーマとしては意味がありませんし、作品にそれが用いられたとしても、「熱」が感じられないでしょう。

作品に用いる研究テーマの場合、一番に考えるべきなのは、第三者が見て素晴らしいと絶賛するようなものではなく、自分が面白いと思っているかです。自分が興味を持ってるものでなければ、やっていて楽しくありませんし、他人から見ても白々しいものになってしまいます。まずは他人の視線などは気にせず、自分が興味を持ってるものを取り上げてみましょう。もしくは、面白いと感じる予感のするものを選びましょう。

例えば、「モテたい!」と思っているとします。ならば、モテるための方法論だけ考えるのではなく、「モテる」とは何なのか、どういう状態がモテるということなのかを真剣に考えてみるべきです。そうすると、いろいろなことが見えてくるはずです。世間で正しいとされていることや、常識とかは関係ありません。自分の頭で考えて、心で判断するのが重要です。理性と感性の両方をフルに活用して、モテるとは何かを考え、感じるようにしてみるのです。

一つ、ヒントを言うと、極端なシチュエーションを想定してみたり、逆説をまず考えるというのが、思考を深める際のセオリーです。そうすることによって、自分が考えなければならないエリアがわかるようになるのです。同じところをグルグル考えてみても、そんなに面白いアイデアはありません。すでに、誰かがそのことについて考えていて、作品化していることがほとんどのはずです。すでに答えが出ているのなら、それをまず知りましょう。そして、それは違うと思えたら、何が違うのか、本当はどうなのか、その答えを提示するのです。

アニメーション作品の場合、かなりいろんなことが表現できます。絵も音も時間も動きも光も声も音楽も使えるのです。これらをうまく活用しましょう。何かを際立たせたい場合、制限して使用するというのも有効な手段です。なぜ、これほどテレビが繁栄したか考えてみてください。それほど、強い力を映像は持っているのです。

 次回グループディスカッション

次回の授業では、グループを作り、そこで各自の持ち寄ったネタについて、話し合いをしてもらいたいと思います。僕は順番にグループに加わりツッコミを入れたりします。ですので、次回までに、研究テーマになりそうなネタを用意してきてください。書籍や画像や映像や音声など、参照できる情報もできれば集めて持ってきてください。僕や泊先生の研究室、図書館で借りてくるのもありです。