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CG演習2-第9回-2008

課題制作

あと、講義は4回分残っていますが、それぞれ自分に必要な作業に割り当てることとします。みなさんの状況にあわせて以下の3つの中から好きに選んで時間を有効に使ってください。

  • ポートフォリオ課題制作
  • アニメーション作品鑑賞
  • デッサン講義

 ポートフォリオ課題制作

ポートフォリオ制作について相談してもらってもいいし、授業とは直接関係ないですが、進級制作についての相談をしてもらっても構いません。

繰り返しますが、講義の最終日にはポートフォリオ課題の「作品ファイル」「WEBサイト」「名刺」を提出してもらいます。全員でみんなの作品を見て、他人のポートフォリオのいいところを自分のものに取り込んでいって、より質の高いポートフォリオを作り上げていってください。もちろん提出までにみんなのものを見て高めあってくれれば、僕としてはこれ以上望むことはありません。

 アニメーション作品鑑賞

いくつかDVDを用意しますので、課題制作やデッサンなどをしない人はアニメーション作品をみていろいろ学んでください。

 デッサン

あまり時間が取れませんが、デッサンを勉強し直してみたいと考えています。
現状、業界への就職実績をみていると「絵を描ける」という能力、人間的に魅力がある、モチベーションが高いなどの基本的な部分への評価が重要であるようです。そこで、基本に帰り、デッサンを見直す必要があるように思います。1年生のときにもやったかもしれませんが、この授業では僕のデッサンに対する考えでもう一度学んでほしいと思っています。高校や美術研究所では違う指導があったかもしれませんが、どんな状況でも応用が効く技術・考え方だと思います。絵の描き方の幅を広げるためだと思ってやってみてください。

僕のデッサンでの基本的スタイルはいくつかポイントがあります。

  • 物の名前を思い浮かべず、見たままを描く (先入観を捨てる)
  • 全体の雰囲気をつかむ (局所的な視野ではなく全体を見渡す大局的な視野を持つ)
  • 輪郭線をひかない (現実にないものを描かない。抽象化しない)
  • レンズのピントを徐々に合わせていく感覚で描く (認識レベルに合わせて描く)
  • 鉛筆の濃さを最大限利用する (コントラストをできるだけ上げる)
  • 描いている途中で何度も頭をリセットする (客観的な見方を維持する)
  • 間違っていれば、躊躇することなく消して描き直す (消しゴムは描画道具である)

輪郭線をはじめから描くな

デッサンをするとき、まず輪郭線を描いてから、その中を塗り絵でもしているように中身を塗りつぶしていく人がいますが、それはやめましょう。目の前のモチーフに輪郭線はありますか? そんなものはありません。目の前にあるのは、物体の表面です。もっと正確にいうならば、物体の表面に反射している光です。目に飛び込んでくる光の色を識別して、立体感や質感を知覚しているわけです。輪郭線は実際にはあるわけではなく、人間が図式化するときに作り出しているものですよね。世の中に線や点というものはありません。線や点は抽象的な産物です。ですから、実際に目に見えているものだけを描こうじゃありませんか。

しかし、「線」を描かないとなるとどこから手を出せばいいのかわからないという人が多いでしょうね。それは、絵を描くときの画材に線を描く為の道具を普段選んでいるからそう思い込んでるんです。鉛筆とかペンとかがそうです。はじめから、刷毛とか太い筆を使って絵を描いていれば、自然と「面」で絵を描くようになります。ペンとかで面を表現するためには、いっぱい手を動かして線を詰めて色面を作らなければならず、なかなか大変な作業になります。しかし、刷毛ならば、一筆で面を作ることができます。逆に刷毛で細い線を引くことはできません。ですから、刷毛で絵を普段から描いていれば、線から描き始めることはしなくなるでしょう。

あと、日本国内には線で描いた絵があふれているというのも強く影響を与えています。マンガやアニメなどは、輪郭線を使って描かれていて、子供の頃からそれらの絵を真似てお絵かきしてきている世代には、どうしても「絵とは線で描くものだ」という思想が強く植えつけられてしまうのです。心当たりのある人がほとんどなはずです。

そこで、一度絵に対する考え方をリセットしてください。
世の中に輪郭線などというものは存在しない。絵は輪郭線を引かなくても描ける
これは、これから教えるデッサン技法をスムースに理解してもらうために非常に重要なポイントです。

なぜ、輪郭線を使わないのか

人間は目の前の風景を漠然と見ているわけではなく、「形」として認識します。ただ漠然と色の変化として見ているわけではなくて、これは箱型だなとか、丸いなとか、尖ってるなとか色の変化から「形」を選び取っているんです。その「形」を表現するときに線は非常に便利なんです。ですから、簡単なスケッチとかするときには線の方が便利です。

ですが、線で描くと、形を単純化してしまったりすることがあります。マンガが線だけで機能するのは、単純化された形から、想像力を膨らませて意味を汲み取ることができる能力を持っているからです。大体の形から意味を想像できるという力は便利なんですが、正確な形や立体感や色を描かなければならないデッサンをするときには障害になりかねません。形が歪んでいるのに、そのことに気づきにくいのです。

人間は形や大きさを識別するときに、線より面の方が有利なんです。実際に試してみればすぐにわかります。

線で描いてしまうとまだ正確な形かどうかわからないのに、ちゃんと描けていると錯覚してしまうことになりがちです。デッサンしているときに自分で描いた絵をなかなか消さない人がいますが、これは、はっきりと形を描いてしまっているのが原因です。まだ正確に描けているのかどうかわからないなら、あやふやに描いておくのがよいです。そこで、どうすればよいのか?

焦点をぼかして描く

一眼レフカメラのファインダーを覗いているところを想像してみてください。オートフォーカスのカメラだと自動的にピントを合わせてくれますが、その機能をオフにしてマニュアルモードにすると自分でピント合わせをしなければ、絵がボケてしまいます。擬似的には、Photoshopの「ガウスぼかし」などで、ぼかしの数値を大きくした状態を思い浮かべてもらっても構いません。

描き始めから完成までのイメージ映像

ピントが合っていないと、ボケボケで何がなんだかわかりませんが、なんとなく、形とか色、画面のどの部分に何があるかがわかります。デッサンの描き始めはまさにこの状態です! デッサンもはじめはこの「ボケボケ」で描き始めましょう。ボケボケですから、輪郭線などありませんよ? 目を細めたりして焦点が合ってない状態でモチーフを見てください。メガネをかけている人はメガネを外してください。なんとなく、この辺暗いなぁとか、なんとなくここらへんに四角い空間があるなぁ、くらいの感覚です。鉛筆を長く持ち、サラサラと素早く大きく動かし色面を作り出していきます。短く持って強く描いてはいけません。柔らかく弱く描いていきます。なぜならば、まだ確信など何もない状態だからです。これは、自分の絵がどのようになるのか探っている段階なのです。

そして、全体が埋まってきたら、少し焦点を合わせていきます。「ガウスぼかし」でいうと数値を少し下げた状態です。さっきより少〜し細部が見えてきます。そこで、デッサンの方も少し細部がわかるかな? という感じにしていきます。

重要な点は、いきなりピントをあわせることはできないということです。絵を描くときに部分的に描いてしまう人はいませんか? 人物を描いているときに、頭だけ描いて、その後に体を描いて、次に手を描いて…と、部分ごとに描き上げてしまう人、いるでしょう? その描き方は最悪です。それだと画面のバランスが取れません。デッサンは部分的に描けても意味はありません。画面全体がバランスよく描けているからこそ、画面の中に空間が生まれるのです。一部分だけがイビツに精密に描かれたりすることは避けましょう。そのことは制作中も同じです。いつ描くことをやめても、その時点で「絵になっている」デッサンが理想です。つまり、画面全体に常に神経が行き届いており、どこか一部分を長時間見続けていない、あちこち目が動いて手が動いている状態で描きましょう。

少しずつ、少しずつピントを合わせていきます。画面全体が少しずつ明確になってくるのです。最初はあいまいでよくわからないですが、描いているうちに自分が思い違いをしていることに気づいてくるはずです。大きさが違う、角度が違う、位置が違う太さが違うと、実際に見てるものと描いているものに差異が認められるはずです。人間の感覚は敏感ですから、自分の描いている絵に「違和感」を感じます。「何かおかしい」と。何か気持ち悪さを感じたら、それを放置しないで、その原因を探ってください。絵を逆さにしてみたり、席を立って遠くから絵を眺めてみたりして、頭をリセットしてみるとか、一度外に出て休憩してみたりするのが効果的です。ずっと絵を描いていると知らないうちに頭が堅くなってしまうのです。ときどきリセットしつつ作業します。

デッサンでの「消す」作業は0に戻すことではない

おかしい部分に目星がついたら、躊躇せず消します。
しかし、完全に消してしまうわけではありません。練り消しを押し付けてたたくようにして消します。広く消す場合は、練り消しを棒状に伸ばして転がすように消すのがよいでしょう。消し加減としては、うっすらと絵が残ってる状態にします。これだと、修正がしやすいです。完璧に消してしまうと修正が難しくなります。ゴシゴシとこすって消すと、紙が痛んでしまうのを避けるためでもあります。

消すのを嫌う人がいますが、これはデッサンではかなりマイナスポイントになります。というか、消さずにデッサンを描ける人は神様といっても過言ではありません。デッサンは、「最後まで現実との勝負」です。実際に見えている部分と自分の絵との違いの部分を個性とか言って誤魔化す人がいますが、そんなことをやっていては、いつまで経っても上達しません。描き始めから描き終わりまで、ひたすら修正を繰り返すのです。描いては消し、描いては消しの連続です。それを最後までやり続けるのです。そして、デッサンの終了とは、現時点での自分の限界を認めることです。鉛筆で紙の上に現実を表現しようとしているのですから、そんなことできっこないのです。つまり、本質的に完成はありえないといえます。写真だって、現実を完璧に表現しているわけではありません。

消さなければならないところを見つけた! ということが、現実へ一歩進むことができたのだということを自覚してください。そして、消して描き直したことで、少し現実に近づくことができますが、その描き直したものも、まだ完璧ではないので、いずれは消える運命にあります。観察し描いた部分は自分の頭に刻み込まれています。それは、消したとしても、0になっているわけではないのです。消すという行為が、一歩下がっているわけではなく、進んでいるのだということをちゃんと理解してください。消しゴムは絵を消す道具ではなく描く道具です。

格子模様のようにタッチを揃える必要はない

学生や受験生のデッサンを見ていると、おそらく先生からそう教え込まれたのでしょうが、3DCGのワイヤーフレームのように、縦横にやたら丁寧に直線や曲線を揃えて線を引く人がいます。これは、まぁやってもいいのでしょうが、あまり意味はありません。現実のモチーフを見てください。そんな格子模様がありますか? そんなものはありはしません。ただ、面としてそこにあるだけです。おまじないのように、タテタテヨコヨコタテタテヨコヨコ……と線を引けば立体感が出るかといえば、それはNOです。僕たちは、そんなタッチで立体感を感じているわけではありません。陰影によって立体感をつかんでいるのです。そのCGのワイヤーフレームのようなタッチを意識するあまり、線を強く描きすぎて、面ではなく線として見えてしまうものが多く見受けられますが、それは僕から見れば表現として失敗していると考えます。現実には線など見えないのですから、線として意識してしまうほど、強く線を引く必要はありません。

繊細に線を詰め、面として機能するように描くべきなのです。そのときに、一つの方向に固執してタッチを揃える必要はありません。あらゆる方向に線を引き、面を作り出すのです。ある一つの方向だけにタッチを揃えてしまうと、絵が「流れて」しまうのです。「流れて」しまわずに、そこに「ある」ものを描くなら、いろんな方向で線を詰めて、方向性を相殺させることが必要なのです。

しかし、鉛筆デッサンの良さは、線にあることは間違いないでしょう。ですから、鉛筆を寝かせて塗るように描くと、モヤ〜っとした絵になって鉛筆デッサンのシャープさが失われます。そういう部分があってもいいのですが、薄い部分は薄い線で、濃い部分は濃い線で、柔らかい部分は柔らかい線で、シャープな部分は鋭い線で構成します。

鉛筆を使い分ける

鉛筆は様々な濃さがあります。2Hの鉛筆で力を抜いて線を引けばかなり薄い線が描けますし、6Bの鉛筆で力いっぱい線を引けば、かなり黒い線が描けます。目一杯薄い色から濃い色までの色で描かなければならないのですが、注意点がいくつかあります。

硬い鉛筆(F、H、HBなど)

  • シャープな線が引ける
  • 薄い色がでる
  • 鉛筆が硬いので、紙を痛めやすい

柔らかい鉛筆(B〜6Bなど)

  • 柔らかい線が引ける
  • 濃い色がでる
  • 煤の成分が多いので、紙が汚れやすい

5Bくらいの濃い鉛筆で描いたあとに、Hなどの薄い鉛筆で描こうとしても、うまく描けません。これは実際に試してみればわかると思います。ですが、硬い鉛筆で描いていると、芯が硬いために紙が凹んだり傷ついたりして、痛んできます。

ということがあるので、描き始めは、HBくらいをオススメします。程よい硬さで表現できる色の幅も大きいので、HBで序盤進めていき、Hや3B、4Bなどの鉛筆を使って幅を広げていくのがいいでしょう。

クールな目を持て

最後に重要なことを書きます。
「客観的にものを見る目」が絵描きには必要です。絵を逆さにしたりして頭をリセットすることを書きましたが、それ以前に心がけた方がいいことがあります。それは、「描く対象の名前を忘れろ」です。

例えば、目の前にあるものをボールだと思うと、「ボール=丸い」と思い込んでしまい、目の前のボールをちゃんと見なくなってしまうのです。そのボールは本当に丸でしょうか。ちょっと歪んだりしてませんか? 地球も球に見えますが、実は真球ではありません。自転などの影響で潰れた球の形をしています。しかし、地球を「球」だと思い込んでしまうと、半径が一定の球として描いてしまいます。人間の絵を描くときも同じようなことが起こりやすくなります。人は人間を見るとき、顔や手などに無意識的に注目するようになっています。特に目を重要視します。その思考が絵に表れてしまい、頭や手や目などを本当よりも大きく描いてしまうのです。

これらの「思い込み」をしてしまうと、目の前のものを見てるつもりでちゃんと見なくなってしまうのです。自分の中にあるイメージで勝手に作り上げてしまいます。この思い込みを消し去るのは、意外と難しく普通の人はなかなかできません。そこで、手っ取り早い方法が「描く対象の名前を忘れろ」なのです。目の前にあるのは、ただの色だ、意味不明、何がなんだかわからないがそこにある「ただのそこに存在している色」として、その色を見たまま忠実に紙に描き写しているんだと思ってみてください。そう自分に言い聞かせてやることで、変な先入観をだいぶ捨て去ることができます。

ここで、上の「焦点をぼかして描く」が意味を持ってくるのです。ボケボケだとワケがわかりません。そうするとかなり客観的にものを見ることができるのです。目の前のものを素直にありのままに紙の上へ写してください。変に作りこもうとか、個性だとかを意識して入れ込む必要など微塵も必要ありません。描いた結果、そこにあるものが、あなたの絵です。個性といえば、それが個性です。もし、作為的な作品を作りたければ、それはデッサンではなく、別に作ってください。デッサンをやるときは、変な作為など捨て、どれだけ素直に見たままのものを紙の上に表現できるか、それを追求してください。