映像基礎演習 第3回 映画創生史1 [2007年度前期]
映画誕生から1920年代まで
リュミエールの初上映から始まる映画史を大雑把に分類すると、サイレントとトーキーに分けられる。サイレントからトーキーに移行する時期は1927年〜1936年くらいで、およそ10年ほどかかっている。
キネトスコープ
- 発明王トーマス・エジソン、助手ウィリアム・ケネディ・ローリー・ディクソン
- 開発担当はディクソン
- 1891年 キネトグラフ、キネトスコープ特許取得
- 1892年 キネトスコープ社設立 ニュージャージー州に世界最初の映画スタジオ建造、通称「ブラック・マリア」
- 1894年 キネトスコープ10台がニューヨークのブロードウェイの店先に並び人気を博すが、2年ほどで衰退
シネマトグラフ
- フランスのルイ・リュミエール、オーギュスト・リュミエール
- 1895年 シネマトグラフを発明
- 1895年 パリの内国産業奨励協会の講演会で最初の映画作品「リュミエール工場の出口」など数作品がスクリーン上映、さらにパリの「グラン・カフェ」の地下室「インドの間」で有料一般公開(映画誕生の日)。この観客の中にメリエスがいた。
- グランカフェでの上映作品「列車の到着」「工場の出口」「水をかけられた撒水夫」「海水浴」「赤ん坊の食事」など10本ほどの19世紀ブルジョワ家庭生活の記録映画
- 巡業興行での使用や常設館など人気を博す
奇術師ジョルジュ・メリエス Maries-Georges
- 1896年2月渡英、映写機を購入し改良、4月ロベール・ウーダン劇場で最初の興行
- 1897年春 モントルイユにスタジオ建造 空想(SF)作品を作り始める
- 多重露光などを駆使したトリック映像を用いる
- 「'''月世界旅行'''」(1902年)、「極地征服」(1912年)など
- ジョルジュ・メリエス(Wipedia)
月世界旅行 Le Voyage dans la lune (1902年)
エドウィン・ポーター Edwin Porter
- 「あるアメリカ消防夫の生活」(1903年) ストーリーを持った最初の映画
- 「大列車強盗」(1903年) 上映時間10分、14シーンあり短いながらもショットをつないだストーリー構成のある作りになっている。演技は演劇的、カメラは固定だが現在の映像の基本となる編集技法が試されている。平行モンタージュ(クロス・カット)、時間の省略、カメラワークなど。この作品以降、映画作品は上映時間が長くなっていく。
大列車強盗 The Great Train Robbery (1903年)
映画の都ハリウッド
- 1910年頃 '''ハリウッド'''に最初の本格的な映画撮影所が設立
- 地価が安い、天候が安定している、エキストラの人件費が安い、MPPC(モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー)の目が届かない、などの理由で映画製作者が集まり映画の都になっていく。
ハリウッドサイン(左:1920年代、右:現在のもの) 1923年にHOLLYWOODLANDという不動産会社の広告として制作された。その後、劣化や飛び降り自殺事件などから改修され現在の形にいたる。
第一次世界大戦
- 1914年から1918年にかけて'''第一次世界大戦'''があり、映画史にも大きな影響を与えている。各国間の流通が途絶え、様々なムーブメントや映画作品がその国の中だけで停滞することになる。また、比較的戦争のダメージの少なかったアメリカが映画の中心になっていく。人材はヨーロッパからアメリカへ流入し、映画作品はアメリカから全世界へ広まるという図式がこの頃から始まり、現在も同様である。
アメリカ映画の父 デイビッド・ウォーク・グリフィス David Wark Griffith
- 「ドリーの冒険」(1908年) 初監督作品
- 「国民の創生」(1915年) 上映時間3時間の長編映画。現在の映画技法のスタンダードを築いた記念碑的作品。大ヒットし、莫大な製作費を上回る利益を生む産業として映画を定着させる。
- 「イントレランス」(1916年) グリフィスの映画技法の集大成。「憎しみと不寛容(イントレランス)が時代を通して、愛と慈善に対していかに争いあったか」というテーマの下、現代編、バビロン編、ユダヤ編、中世編からなる長編大作。
- D.W.グリフィス(Wikipedia)、国民の創生(Wikipedia)、イントレランス(Wikipedia)
國民の創生 The Birth of a Nation (1915年)
映像技法・用語
グリフィスにいたる様々な映像作家たちによって築かれてきた映画技法やジャンルは多岐にわたるがそれらを一度整理しておきたい。
- ショット
- 映画におけるショットとは、切れ目なしに連続して撮影された映像の単一断片を指す。長さに関係なく、カットされて(切られて)いなければ1つのショットになる。 映画では1秒間に24個のフィルムのコマがあり、最小単位からいえば、コマ→ショット→シーン→シークエンス→1本の映画、となる。シーンとシークエンスはしばしば曖昧で、又、ショットを長くすればシークエンス(あるいは映画全体)まで延ばす事も出来る。 カットを同義語として使う場合もあるが、ショットは上記の通り映像そのものを指し、カットはショットからショットへ転換するその切れ目あるいは編集でフィルムを切断する行為を指す。(Wikipediaから転載)
- シーン
- テレビや映画におけるシーン(Scene)とは、一定の場所の中での動作の一区切りをさす。記録された映像作品においては編集が可能なため、一般的に舞台などのシーンに比べると短くなる傾向がある。場面(ばめん)とも呼ぶ。(wikipediaから転載)
- シークエンス
- 映画におけるシークエンスとは、物語上の繋がりがある一連の断片のこと。日本においてはシーンと言われることが多いが、シーンとはシークエンスよりもさらに小さな場面のことを指すため、シークエンスという呼び名が正しい。通常はカット(ショット)という最小単位を元にして、そのカットの集合がシーンを構成し、さらにはそのシーンの集合がシークエンスとなり、シークエンスが繋がりを持った束となって一つの映画が構成される。ただし、中にはテオ・アンゲロプロスのように、一つのシークエンスをカット割りすることなく一つの連続したカットで撮り上げる作家や作品もある。(Wikipediaから転載)
- フェード
- 真っ暗からだんだん明るくなって画面が現れるのが「フェード・イン」、反対にだんだん暗くなって消えていくのが「フェード・アウト」。その緩急や長短によって効果が異なる。
- アイリス
- あるショットが別のショットに切り替わるときに、画面が大きな円形から画面中央に向かってだんだんと小さくなって消えるのが「アイリス・アウト」で、反対に小さな円がだんだんと大きくなって画面全体が現れるのが「アイリス・イン」。レンズの前に絞りを付けて開閉することで効果が得られる。フェードよりもより印象の強い場面転換の手法。アイリス・レンズを使ったのはグリフィスが最初。
- ソフト・フォーカス
- 焦点を若干甘くして、レンズにフィルターやワセリンなどをかぶせて画面内の印象を柔らかくすること。古典的ハリウッド映画では女性のクローズ・アップのさいに用いられた。
- オーバーラップ
- あるシークエンスから次のシークエンスに移るときに、画面を重なりあわせ、緩やかに移行させること。回想や想像、幻想や幻覚などを表す他、同じ場面の昼と夜、春と秋、現在と過去、将来といった時間経過、晴天と雨の気象変化、同一人物のいる場所の相違というように使い方も効果も様々。
- ドリー
- 移動車を用いてカメラを移動させること。この移動車をドリーという。レールの上にカメラを乗せて行う移動ショットはトラッキング・ショットまたはトラベリング・ショットという。
- モンタージュ
- 広義ではフランス語で「編集」の意。ショットとショットをつなげ、編集していくこと。モンタージュの創作的な組み立ての基本と原型は、グリフィスによって築かれた。狭義では、グリフィスの始めたモンタージュからの発展で1920年代中頃、旧ソ連の監督エイゼンシュタインが唱えたモンタージュ理論のこと。異なる意味を持つ複数のショットを結合し、衝突させることによって、どのフィルムにもないような意味を弁証法的に作り上げ、その意味同士がさらに衝突し、より高次の意味になり、ピラミッド状に形成されてフォルム全体のメッセージを作る。Wikipedia
- クロス・カット 平行モンタージュ
- 同じ時間に異なった場所で起きている出来事をショットずつ交互につなぐことで、二つのシーンを平行して語ること。Wikipedia
- スラップスティック
- サイレント時代に流行したコメディのジャンルのひとつで、機知に富んだ台詞や登場人物の会話ではなく、粗野なドタバタとパントマイムによって見せる映画のこと。チャップリンやキートンが代表格。
1920年代〜
ドイツ表現主義
1910年代からドイツを中心に表現主義という芸術運動が盛んになる。ストーリーが非常に象徴的に、故意に超現実主義的に描写されている。1920年代前半の芸術界は、ダダが席巻しており、ヨーロッパ文化の各方面は、新しい思想や芸術スタイルの実験を通して未来を展望する変革を受け入れていた。これら最初の表現主義的な映画のセットには十分な予算がつぎ込まれた。セットデザインは、でたらめで現実味がなく、幾何学的に狂っていて、また壁面や床には光や影などを表す塗装が施された。表現主義の映画では、狂気、精神異常、背信、などの「知的な」テーマが取り扱われた。Wikipedia
カリガリ博士
- カリガリ博士(原題:Das Kabinett des Doktor Caligari、カリガリ博士の箱=眠り男がその中で眠る箱を指す)は、1920年に制作された、ローベルト・ヴィーネ監督による、革新的なドイツのサイレント映画である。本作品は、一連のドイツ表現主義映画の中でも最も古く、最も影響力があり、なおかつ、最も芸術的に評価の高い作品の一つである。上映時間71分。フィルムは白黒フィルムが使用されているが、場面に応じて緑、茶色などが着色されている。
- ほぼすべてのショットにおいて、歪んだセット美術が使用されている
- 目の周りを隈取したような奇抜なメイク
- 字幕も、ただ文字を表示させセリフや状況説明を行うのみならず、手書きの文字を使用し、感情や心理状態を適切に表している
- 場面の切り替え以外でもアイリス・ショットを多用し、不安感をあおったり、注意を喚起したりする手法が多用されている
- 他のサイレント映画に比べても、登場人物たちの演技は感情や身振りをかなり誇張されている
- すべての撮影を、屋内でセットを使用して行っている
- 登場する家具も、実用的なものというよりは、歪んだセット美術に合わせて作られた奇抜なものが多い
カリガリ博士 Das Kabinett des Doktor Caligari (1920年)
参考文献
- 【WEB】Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
- 【WEB】YouTube http://www.youtube.com/
【書籍】映画検定 公式テキストブック キネマ旬報社
【書籍】「逆引き」世界映画史! フィルムアート社
【DVD】映画の宝物 シネマヨーロッパ
【DVD】20世紀の巨人 映像とイメージ